とうちゃんからお前たちへ

かけがえなきかみさんとチビたちに捧ぐ

運命はあるのか?

「運命」があるとかないとか言う話を

耳にしたことがあるだろうか

例えばお店でドリンクを注文する時に

コーヒーを頼むか

紅茶を頼むのか

そんな日常の選択肢が

すでに決まっているという話だ

 

人は決まったレールの上を進んでいるから

その先にある出来事を避けて通れないという

運命論があるが

チャネル的には「ない」と言及しておきたい

 

ただ

人は…

正確には

地球人として生まれてくる前の自分は

地球人として生まれたら

どういった方向で人生を送るのかについて

設計をした上で

自分の計画が遂行可能な家族を選択し

誕生してくると言う

 

ドラマなんかでは

「好きで生まれてきたわけじゃない」

と言うセリフがあるが

実はそうではなく

誰もがなりたい自分として

なりたい環境で

両親を選択し

さらにその両親から承諾を得た上で

生誕に至っているのだ

 

この情報は

それまでのオレ自身の思考パターンを

根底から覆した

 

物理的にではなく

意識のレベルでコンタクトを取り

子となるオレ

父となる男性

母となる女性と

意気投合した上で

オレは生まれてきたのだ

 

それを実感として味わえなくとも

想像をしてみただけで

武者震いが止まらない

 

そんな神秘的なスタートがあり

世の中の誰もが生まれてきている

これが神秘でなく奇跡でなかったら

なんだろ言うのだろうか

 

チャネルには

「全ては自分が選択している」

 と言うフレーズが比較的よく飛び出す

 

それは「自己選択」していることを知った上で

人生を歩むのと

知らないままマスコミに翻弄され

あっちにフラフラ

こっちにフラフラした人生を送る結果

何も得られないような

空虚感を抱いたままの人生を送るのとでは

同じ人生が全く異なったものになってしまうからだ

 

チャネルは宗教ではない

何も教えてくれないし

何も与えてくれない

人生を生きる上でのポイントを示してくれるだけであって

それを自分の人生に活用するかどうかは

情報を受け取った各自の判断に任されている

 

だって

人生は各自が選択していくものであって

例えば宇宙存在であったとしても

地球人に対し

何ひとつ強要できないからだ

 

定食に付いてくるサイドメニューで

パンを選ぶのか

ご飯を選ぶのか

それはあなたの判断に委ねられているのだ

 

だとしたら

死のうか生きようかについても同じだ

「死にたい!」と考えるのと

実際に「もうオレ死ぬわ」と言うのは

チャネル的な視点で見ると

全く別物だ

 

多くの人が

何らかの苦しい思いを背負った時

「こんな人生なら

もう死にたい!」

 と思ってしまう

 

その結果どうでした?

 

たいていの人は

次の日もそのまた次の日も生きてませんか?

 

それは

心の奥底では

「まだ死んでなるもんか!」

って思ってる証拠になる

 

そこで

「ああ

また今日も嫌な一日が始まる」

と思っているとジレンマから抜け出せない日々が続く

 

でも

「あんなに悩んだのに死んでない!

てことは

オレって実は生きたがってる!?」

そんな風に自分の本心にふれることができたなら

そこからの人生はきっと新しいものになるんだ