とうちゃんからお前たちへ

かけがえなきかみさんとチビたちに捧ぐ

ポジティブ・ネガティブ

どんな立場の人でも

大人でも子供でも

天才でも落ちこぼれでも

聖職者であろうと犯罪者であろうと

誰もがこの先へ進むチカラを兼ね備えている

 

それはなぜだろうか?

 

地球人の遺伝子の螺旋数は

十二に対し

二と少ない

でもそれは残りの十を持ち合わせていない

と言う意味ではない

 

誰もが十二の螺旋数を保持しているが

十の螺旋は糸がほころびているだけなのだ

 

チャネル情報などがもたらす情報は

これまでの地球人のあり方や

各個人の考え方

生き方に疑問符を投げかける

 

「これまでの人生は

果たしてこれで良かったのだろうか?」

その意識の変革が

ほころびた螺旋を蘇らせるきっかけとなる

 

遺伝子の螺旋数が

三ないし四を持つ子供は

既に誕生していて

マスコミでも取り上げられたことがある

 

しかし

最初から多くの螺旋数を持っていなければ

劣った存在になるわけではない

そのような事例は

世の中の変化の

ほんの一部を照らし出しているに過ぎない

 

ではなぜ

今持って劣等感に包まれたままの

地球人があふれかえっているのだろうか?

 

現在では当たり前に使われるようになった

「ポジティブ」「ネガティブ」

と言う言葉がある

 

この言葉は

カメラの世界では大昔から使われていた

 

デジカメでは使用されないが

以前カメラで写真を撮る時には

ネガにその映像を焼き付ける手法が使われていた

 

この「ネガ」こそ

ネガティブのことだ

 

逆に

カメラの世界には「ポジ」という用語もあり

スライド写真などに使われるフィルムのことで

フィルムに最初から色が付いている

 

ポジに対しネガには色付けないので

光に透かしてネガを見ると影の世界を感じるが

プリントする時に色が付いた状態になるのが特徴だ

 

ネガもポジも

その用途が違うだけで

どちらが優秀だとか

どちらか一方が劣っている

と言う優劣を付けることはできない

 

この部分は

とても大切なポイントなので

是非とも押さえておいて欲しい

 

では

現在「ポジティブ」「ネガティブ」という時

どんな意味でそれを使っているだろうか?

 

この言葉を広めるきっかけは

ニューエイジの活動が大きと

個人的には思っているが

これらの言葉が使われ始めた頃

意味を理解できない人向けに

「ポジティブ=プラス思考」

「ネガティブ=マイナス思考」

という置き換えをされていた時期があった

 

しかし

これは誤用だとオレは言及したい

 

「ネガとポジ」には

「裏と表」の関係はあるが

優劣をつけているわけではない

 

人の体には

「前面」と「背面」があるが

どちらが優秀かを決めることに

何の意味があるだろうか?

 

「前面には顔があるから優秀」としてみよう

じゃ背中がなくて人は生きていけるのか?

そんなのは到底無理だろう

どちらも必要不可欠なのだ

 

オレが「マスコミの言動に惑わされないように」

と言うのはそう言うところだ

プラスやマイナスに例えると

噛み砕いた説明のように思えるが

言葉本来が持つ意味を

とんでもない方向にとらえてしまうと

そこで人生の迷宮に迷い込んでしまうことになる

 

「プラスマイナス」と言う言葉を使う際

その背景には

どちらか一方に対して

「否定的」な意味合いを持たせようという

働きかけがにおってくる

 

「否定」は物事に優劣を作り

「優劣」は強者と弱者を作り出し

そこに「不公平」が生まれる

 

地球人が取り除かなければならない

一番の元凶は何かを「否定」することだ

 

「ポジティブ」「ネガティブ」を並べて

その意味を把握する時

「ネガティブ」は「否定」に相当し

逆に「ポジティブ」は「肯定」に相当する

 

だからと言って

何でもかんでも「肯定し認めていく」ことは

何もポジティブな行動だとは言えない

 

ここは少々難解な部分になる

 

実例を示そう

オレの妻はネットオークションを良く利用している

代金はカード払いだが

家族カードなので

請求はオレの口座からになる

 

そのため

以前ネットオークションの中断を妻に申し入れた

すると自分専用のカードを作って

自分の口座から引き落とすようにしたから

と言うので

いったん話が収まっていた

 

しかしここ一年のカード明細を見てみると

ネットオークションからの引き落としが続いている

オレは大金持ちではない

毎月の光熱費や家のローンの引き落としが

ギリギリまかなえる程度の収入だ

 

と言うことは

ネットオークションなどで

余分な出費があると

光熱費や家のローンの支払いに影響が出てくることになる

 

さてここで問題だ

あなたなら妻にどんな対応をするだろうか?

 

「無駄な金を使いやがって!」

「自分のカードで支払うと言っておきながら

約束を破りやがって!」

「支払いができずに電気や水道が止まってもいいのか!」

「ローンが払えず借金取りに追いかけ回されてもいいのか!」

言い分はいくらでも考えられる

 

オレの場合は

まず明細を見せることにした

そして

「これじゃ残高不足になんのは当たり前やね」

「ネットオークションの利用はやめてくれるか」

「支払いができんもんがあちこちでてきてまうからそこは頼んだで」

と告げた

 

①金欠である事実を伝え

②影響の出ている行為について伝え

③不足金の対応を依頼した

 

この中で否定系なのは②だ

ただ彼女には自分のカードで支払えば

ネットオークションを継続できる

と言う別の道は残されている

 

実生活の中で

物事を否定的ではなく

生産的にとらえ

言葉を選択し

行動も選択していくことは

不慣れな内はなかなか厄介だ

 

気持ちの中で

「ああこれはこんな風に捉えれば良いんだ!」

と気づいたとしても

それを実際の行動として踏み切れないのであれば

自分の考えを否定していることになるからだ

 

先に述べたように

オレの生活は金銭的にはゆとりがあるわけではない

 

数年前

予定外で妻の妊娠が発覚した際

その子を堕すかどうかを迷った瞬間があった

 

出産後の永続的な金銭面を考えれば

中絶費用を払って終わりにした方が

家系的にはずっと楽だろうとも思った

 

ではどうしたのかと言うと

オレは

中絶した場合と出産した場合の

各パターンについて

脳内シミュレーションを行うことにした

 

それは各パターンを体験した

未来の自分への問いかけだった

 

出産を選択したオレは

嬉しそうだった

相変わらず裕福ではなかったので

生活面では苦しいところもあったが

なんだか幸せそうだった

 

一方

中絶を選択したオレは

何年経っても

中絶を選択した罪悪感から抜け出せず

後悔するたびに号泣していた

 

両方のオレを参考にした結果

オレは「出産」と言う選択肢を妻に告げた

 

妻は「やっていけるの!?」と言ったが

「生むんだ!」とオレは声を上げた