とうちゃんからお前たちへ

かけがえなきかみさんとチビたちに捧ぐ

なんのために生まれた?

プロの唄々いを目指し

東京出て暮らし始めて間もなくオレは

のどを痛め

普段の会話にも不便な状態に陥ってしまった

 

どうしてオレが

そんな試練を受けなくてはいけないのか

到底理解できなかった

 

半分棒に振ったような二十代だったが

ようやく人生の持つ意味が見えてきたのは

ずいぶん後になってからだった

 

過去を振り返って

数々の失敗を思い返してみた

 

例えば

唄に没頭していた時期には

女性を好きになっても

うまくいったことはないが

オレ自身で

そのような選択をしていた部分があることに気づいた

 

この想いがうまくいかなければ

その切ない気持ちが

唄を創る原動力になる

そう考えている自分がいたことを発見した

 

また

幼い頃から図画工作が好きだった

家は大金持ちでもなく

貧乏でもなかったが

オモチャなどを買ってもらえる機会には

ほとんど恵まれなかった

 

マジンガーZ」の超合金ロボット

と言うオモチャが欲しかった時も

買ってもらえるとは

最初から思っていなかったので

下手なりにも

自分でノートにロボットの絵を描いたものを

ハサミで切り出して

紙人形を作って遊んでいた

 

最初は空しいと思っていたこの遊びにも

実は大きな利点があることを

しばらくしてから感じ取った

 

仮に超合金ロボットを

買ってもらっていたとしたら

次には戦わせる相手が欲しくなる

 

てことは

オモチャをふたつもねだる結果になってしまう

そんなのは我が家にとっては

ありえない話だった

 

でも紙人形なら

正義のヒーローも

悪の大魔神

作り放題だ

 

オレは

その紙人形作りいう遊びを通して

ハサミの使い方や

ペンの使い方を学んだし

紙にもいろいろな種類があって

柔らかくふにゃふにゃで

紙人形には使う辛いものがあることも知った

 

その後も

本を読むことは嫌いだったが

文字を書いたり

絵を描いたりすることは好きでいた

 

自分で自分の髪を切ったりすることもあるが

あの頃鉛筆でなぞったところに

ハサミを入れて

目的通りのデザインを切り出すことを

何度も何度もやっていたことが

役立っているのだろうと考えている

 

東京では最初の頃

印刷屋でフリーターをやっていた

 

赤・黄・青の基本色を混ぜ合わせて

注文の色を作り上げる作業があるが 

それぞれ混ぜ合わせると

中間色が出来上がる

 

赤と黄色を混ぜるとオレンジ色になり

黄色と青だと緑になる

青と赤を混ぜると紫に

三色を全部合わせると茶色になる

 

白と黒や金や銀は

この三原色からはできなかった

 

別に誰から教わったわけではないが

そんな感じで

自分で混ぜ合わせた色を使い

色作りの表を作って参考にしていた

 

また

その後オレは

レンタルビデオの世界に入るが

幼い時から

我が家ではTVで放送されている映画を

よく観ていた

 

何気なく観ていた映画が

自分の仕事となり

お客さんに

映画を勧めるきっっかけにもなっていた

 

三十代から十年近くをかけて

「ああ

あれは無駄じゃなかったんだ」

「ああ

あれはオレが心の奥底で望んでたことだったんだ」

そんな気づきを積み重ねていった