とうちゃんからお前たちへ

かけがえなきかみさんとチビたちに捧ぐ

どうして?

どうして私は生まれてきてしまったのか?

どうして私はお金持ちではないのか?

どうして私だけいじめられるのか?

どうしてこんな惨めな人生を送らなくてはいけないのか?

どうして私はこんなにもバカなのか?

どうして私の夢は叶わなかったのか?

 

どうしてどうしては

数かぎりないほど簡単に飛び出してくる

 

パートナーがいる人でも

どうしてパートナーとうまくやっていけないんだろうか?

どうしてこちらの気持ちがうまく伝わらないんだろうか?

など恋人間や夫婦間で悩みを抱える人も少なくないだろう

 

そもそもの原因は

家畜として地球人を創造した宇宙存在が

意図的に遺伝子操作を行っていたことが理由だが

今となってはそれだけを問題視しても意味がなくなっている

 

なぜなら

地球人はこれまでの歴史の中で

自らが打ち立てたルールによって

地球人自らを縛り付けているからだ

 

その代表的な原因は「同一化」だ

「みんなと同じでなくてはいけない」

このルールが「他人と比較する」癖を身につける結果を生み出し

個性を否定する元凶となった

 

「私は幸せではない」と感じる時

「●●と比べて〜だ」と理由付けをしている観察者としての自分が

胸の奥にいるのだと

本当は気づいているだろう

 

「私は幸せではない」と感じる時

「私はみんなと同一になれていない」

と比較しているのだ

 

背が低い

太っている

髪が薄い

ブスだ

などなど

それらはみな「比較」からしか生まれない判断だ

 

では「背が低い」と判断している人は

いったい何メートル身長があれば満足なのだろうか?

二メートル?

それとも三メートル?

 

仮に三メートルの身長になれたとしても

キリンやゾウはもっと背が高いよ?

そしたらアナタはキリンやゾウを妬むの?

 

そして十メートルの身長になれたとしても

山は遥かに大きいよ

そしたらアナタは山を妬むの?

 

そして一万メートルの身長になれたとしても

地球はもっと大きいよ

 

でも地球を超える大きさになってしまったら

もう地球では暮らせなくなるよ

それでも大きくなることがアナタの幸せ?

 

お金持ちも同じでしょう?

山ほどお金を持つと

財布にはお金が入りきらなくなる

 

使い切れないから

銀行かどこかに預けることになる

でも銀行強盗にお金を取られたら…って考えると

銀行に預けるのも怖くなるね

 

じゃ「投資だ!」と思って
株を買ったりしても

損をしないようにいろんな心配事に悩まされたり…

大変だね

 

まだお金持ちじゃなかった時の方が

あれこれ小物を買って喜べたし

ステーキなんか食べられたら嬉しかったし

自由だったかもしれないね

 

「誰かと同じようになりたい」

その気持ちがスタートだった

 

前に向かって進むことは

ポジティブなことだと思うけど

マネっこした先には

必ずしも満足な自分がゴールインしてるわけじゃなかった

 

「誰か」を見て

「誰か」を目指して

「誰か」になるんじゃなくて

もっと「自分の気持ち」に目を向けて

ホントにやりたいことをやってれば良かった

 

そんな気持ちになってからでも

決して遅くないんだ

 

虹は虹

でも七色に分かれてる

赤は赤

青は青として輝いているから全体として美しい

 

人も人

男女に分かれ

いろーんな国の人に分かれてる

 

それぞれの人がそれぞれ人生を楽しめたなら

地球人は虹よりもっと多い色を持って輝けるんじゃないかな

ポジティブ・ネガティブ

どんな立場の人でも

大人でも子供でも

天才でも落ちこぼれでも

聖職者であろうと犯罪者であろうと

誰もがこの先へ進むチカラを兼ね備えている

 

それはなぜだろうか?

 

地球人の遺伝子の螺旋数は

十二に対し

二と少ない

でもそれは残りの十を持ち合わせていない

と言う意味ではない

 

誰もが十二の螺旋数を保持しているが

十の螺旋は糸がほころびているだけなのだ

 

チャネル情報などがもたらす情報は

これまでの地球人のあり方や

各個人の考え方

生き方に疑問符を投げかける

 

「これまでの人生は

果たしてこれで良かったのだろうか?」

その意識の変革が

ほころびた螺旋を蘇らせるきっかけとなる

 

遺伝子の螺旋数が

三ないし四を持つ子供は

既に誕生していて

マスコミでも取り上げられたことがある

 

しかし

最初から多くの螺旋数を持っていなければ

劣った存在になるわけではない

そのような事例は

世の中の変化の

ほんの一部を照らし出しているに過ぎない

 

ではなぜ

今持って劣等感に包まれたままの

地球人があふれかえっているのだろうか?

 

現在では当たり前に使われるようになった

「ポジティブ」「ネガティブ」

と言う言葉がある

 

この言葉は

カメラの世界では大昔から使われていた

 

デジカメでは使用されないが

以前カメラで写真を撮る時には

ネガにその映像を焼き付ける手法が使われていた

 

この「ネガ」こそ

ネガティブのことだ

 

逆に

カメラの世界には「ポジ」という用語もあり

スライド写真などに使われるフィルムのことで

フィルムに最初から色が付いている

 

ポジに対しネガには色付けないので

光に透かしてネガを見ると影の世界を感じるが

プリントする時に色が付いた状態になるのが特徴だ

 

ネガもポジも

その用途が違うだけで

どちらが優秀だとか

どちらか一方が劣っている

と言う優劣を付けることはできない

 

この部分は

とても大切なポイントなので

是非とも押さえておいて欲しい

 

では

現在「ポジティブ」「ネガティブ」という時

どんな意味でそれを使っているだろうか?

 

この言葉を広めるきっかけは

ニューエイジの活動が大きと

個人的には思っているが

これらの言葉が使われ始めた頃

意味を理解できない人向けに

「ポジティブ=プラス思考」

「ネガティブ=マイナス思考」

という置き換えをされていた時期があった

 

しかし

これは誤用だとオレは言及したい

 

「ネガとポジ」には

「裏と表」の関係はあるが

優劣をつけているわけではない

 

人の体には

「前面」と「背面」があるが

どちらが優秀かを決めることに

何の意味があるだろうか?

 

「前面には顔があるから優秀」としてみよう

じゃ背中がなくて人は生きていけるのか?

そんなのは到底無理だろう

どちらも必要不可欠なのだ

 

オレが「マスコミの言動に惑わされないように」

と言うのはそう言うところだ

プラスやマイナスに例えると

噛み砕いた説明のように思えるが

言葉本来が持つ意味を

とんでもない方向にとらえてしまうと

そこで人生の迷宮に迷い込んでしまうことになる

 

「プラスマイナス」と言う言葉を使う際

その背景には

どちらか一方に対して

「否定的」な意味合いを持たせようという

働きかけがにおってくる

 

「否定」は物事に優劣を作り

「優劣」は強者と弱者を作り出し

そこに「不公平」が生まれる

 

地球人が取り除かなければならない

一番の元凶は何かを「否定」することだ

 

「ポジティブ」「ネガティブ」を並べて

その意味を把握する時

「ネガティブ」は「否定」に相当し

逆に「ポジティブ」は「肯定」に相当する

 

だからと言って

何でもかんでも「肯定し認めていく」ことは

何もポジティブな行動だとは言えない

 

ここは少々難解な部分になる

 

実例を示そう

オレの妻はネットオークションを良く利用している

代金はカード払いだが

家族カードなので

請求はオレの口座からになる

 

そのため

以前ネットオークションの中断を妻に申し入れた

すると自分専用のカードを作って

自分の口座から引き落とすようにしたから

と言うので

いったん話が収まっていた

 

しかしここ一年のカード明細を見てみると

ネットオークションからの引き落としが続いている

オレは大金持ちではない

毎月の光熱費や家のローンの引き落としが

ギリギリまかなえる程度の収入だ

 

と言うことは

ネットオークションなどで

余分な出費があると

光熱費や家のローンの支払いに影響が出てくることになる

 

さてここで問題だ

あなたなら妻にどんな対応をするだろうか?

 

「無駄な金を使いやがって!」

「自分のカードで支払うと言っておきながら

約束を破りやがって!」

「支払いができずに電気や水道が止まってもいいのか!」

「ローンが払えず借金取りに追いかけ回されてもいいのか!」

言い分はいくらでも考えられる

 

オレの場合は

まず明細を見せることにした

そして

「これじゃ残高不足になんのは当たり前やね」

「ネットオークションの利用はやめてくれるか」

「支払いができんもんがあちこちでてきてまうからそこは頼んだで」

と告げた

 

①金欠である事実を伝え

②影響の出ている行為について伝え

③不足金の対応を依頼した

 

この中で否定系なのは②だ

ただ彼女には自分のカードで支払えば

ネットオークションを継続できる

と言う別の道は残されている

 

実生活の中で

物事を否定的ではなく

生産的にとらえ

言葉を選択し

行動も選択していくことは

不慣れな内はなかなか厄介だ

 

気持ちの中で

「ああこれはこんな風に捉えれば良いんだ!」

と気づいたとしても

それを実際の行動として踏み切れないのであれば

自分の考えを否定していることになるからだ

 

先に述べたように

オレの生活は金銭的にはゆとりがあるわけではない

 

数年前

予定外で妻の妊娠が発覚した際

その子を堕すかどうかを迷った瞬間があった

 

出産後の永続的な金銭面を考えれば

中絶費用を払って終わりにした方が

家系的にはずっと楽だろうとも思った

 

ではどうしたのかと言うと

オレは

中絶した場合と出産した場合の

各パターンについて

脳内シミュレーションを行うことにした

 

それは各パターンを体験した

未来の自分への問いかけだった

 

出産を選択したオレは

嬉しそうだった

相変わらず裕福ではなかったので

生活面では苦しいところもあったが

なんだか幸せそうだった

 

一方

中絶を選択したオレは

何年経っても

中絶を選択した罪悪感から抜け出せず

後悔するたびに号泣していた

 

両方のオレを参考にした結果

オレは「出産」と言う選択肢を妻に告げた

 

妻は「やっていけるの!?」と言ったが

「生むんだ!」とオレは声を上げた

家畜

前回

ネガティブなエネルギーを好む

宇宙存在がいることに触れてみた

 

「私はお肉が好きだ!」

「美味しいお肉をいつでも食べ続けたい!」

そう願ってやまない宇宙存在がいたのだ

 

だとしたら

彼らが次に取る手段は何だろうか?

それは牧場作りだ

 

地球人は地球の外に出て生活する能力がまだないので

地球の中に牧場を作り

そこで家畜の飼育を行う

 

一方

宇宙存在は宇宙のどこでも生活が可能なので

視野が地球人よりも広い

「どこの星系に牧場を作ろうかなぁ」

と考えを巡らせる

 

目をつけたのが太陽系の地球だった

 

「恐怖」を効率的に作り出すために

どんな生命体を創造し

どう言った飼育プランを建てれば良いのか?

 

その結果たどり着いたのは

二足歩行の地球人を作る時ことだが

その際

遺伝子の螺旋の数を減らすことをポイントとした

 

地球人の学者の中には

広大な宇宙の中で

知的生命体としてここまで発展しているのは

地球人だけだろうと推測している面々もいるが

すでに宇宙には

物理次元で活動可能な生命体であれば

現在の地球人以上の存在も作り出す能力があるようだ

 

現在

地球人が解明している遺伝子の螺旋の数は二本だが

本来は十二本あるべきだとチャネル情報は語る

 

現在の遺伝子の螺旋数であっても

生命体として活動するのに支障はないが

逆にこの数はのままだと

これ以上の成長が望めないことになる

 

昔は聖人や偉人が地上を訪問していた

と言う話と連動するが

地球人がある程

度外的なモノを認識できるようになってから

創造者たちは地球を訪問し

自分たちが「神」であると言う認識を

地球人に植え付け

畏れ崇めるように仕向けた

 

その認識は遺伝子に刷り込まれ

後の世代にも知らず知らずに受け継がれていく

 

世界のどこかには

 地球人よりはるかに優れた「神」がいる

そしてそれは畏れ崇める存在

逆らえば

この世界が崩壊してしまうかもしれない

 

しかし

「神」である宇宙存在からすれば

地球人は単なる「家畜」だ

家畜に対して何の温情が必要だろうか?

 

だがその一方で

より美味しい牛肉を食べ続けたいのなら

牛を美味しく育てる必然性には迫られる

牛舎を作ったり

肥料を工夫したり

綺麗に体を洗って衛生面に気をつけたり

と言った飼育作業が必要になる

 

地球人を創造した宇宙存在も

地球人に対し

地球という牛舎を与えた

今はもう餌をくれることもないが

餌は自給自足でまかなえるように成長している

 

つまり「飼育作業が不要な家畜」として

地球人はここまで成長してきたのだ

オマケに宇宙存在が欲しがっている

負のエネルギーである「恐怖」の生産も

地球人が地球人を支配しようとする行為が絶えないため

今も自動生産し続けている

 

日本には様々な自動販売機があるが

お金を払わなくても

誰かが勝手に中身を補充し続けてくれる

そんな自動販売機があれば

あとは家の中でグータラしているだけで済む

 

ここで言う宇宙存在と

地球人の関係はそれに似ている

 

「食うためには働くことが必要」

そう思って疑わないから

誰もがあくせくとが働く

 

生命が誕生した頃から「仕事」が存在したとは考え辛い

「仕事」は

誰かがそのような仕組みを考え

それが必要だと思わせ

それを信じた誰かがいたから

その認識が今持って絶えないだけであって

「仕事=人生の必須事項」であるはずはないのだ

 

それは「お金」も同じだ

「お金が大事」

「お金がたくさんあれば何不自由なく生きていける」

本当だろうか?

 

この十年の間に日本の各地では

大規模な自然災害が発生している

 

家がつぶれ下敷きになった時

お金があれば命は助かるだろうか

救助隊が来る前に

亡くなっている人は多数いる

 

農産物の不足で

どこにも食べ物が置いていない時

お金があれば空腹は満たされるだろうか?

もし水不足なら喉の渇きさえ

癒せないのではないか?

 

だとしたら

本当に大切なものは何なんだろうか?

仕事?

お金?

 

それを見出せないで

数千年もの間

似たような歴史を繰り返しているのが

地球人だ

 

地球人は家畜でありながらも

とりあえずここまで成長してきた

 

犬猫などのペットを「畜生」と称することもあるが

「畜生」であっても

「かけがえのない家族の一員」

として認識している飼い主もいる

 

宇宙存在の中にも

「あそこまで成長したのであれば

これ以上地球人を家畜化せず

宇宙の一員となるよう

私たちと同じ世界に引き上げる努力をすべきだ

と言う穏健派が登場しても不思議ではない

 

聖人や偉人の多くは

そのような存在だったのだ

 

しかし彼らの直接的な温情は

強烈な「恐怖政治」に飲み込まれている地球では

大きな効果を与えることはできなかった

 

逆に

彼らの存在や行動は

「宗教」として政治に取り込まれ

地球人が地球人を支払いする道具になってしまった

 

地球人が現状からはい上がるには

誰か第三者の手を借りるのではなく

自らの力を開花させ

「次元」という名の螺旋階段を昇り

非物理次元に進むしかないのだ

 

物理次元も面白い世界だ

だが歴史を振り返る限り

マンネリ化していやしないだろうか?

 

「進化」するにはお金もいらないし

特定の「仕事」をやっていなければならない

と言うこともない

 

各自の中にある

「意思」をどう活動させるか?

それだけが重要なのだ

 

そして大きな躍進のために

日々小さなことから

「物事の見方」を正し

マスコミに流されない

自然な視点を持つことも欠かせないのだと

と付け加えておこう

恐れ

地球は実に様々な「心配事」を抱えている。

「ああ アレを買わなくちゃ」

「待てよ これも足りないな」

「うーんでもそこまで揃えるお金が足りないぞ」

 

「健康診断で脂肪が多いものは控えろと言われたけど

このフライドポテトぐらいならいいかな

それともダメかな」

 

「明日はテストだった!

すっかり忘れてたから

何にもやってないぞ

このまま明日 学校に行っても大丈夫かな」

 

「気が付いたら朝方まで飲んじまってた

仕事でドジを踏まなきゃいいな」

 

心配事のネタは

きっと無限にあるだろう

 

過去に知りえたチャネル情報の中で

個人的にかなりショックだったが

「そういうことってあるかもなぁ」

と思った話があるので紹介しよう

 

例えば地球人は

数多くの家畜を飼い育てている

じゃぁそれは何のために飼育しているんだろうか?

さっさと正解を答えてしまうが

地球人自身が自分たちの食べ物として育てている

 

それは悪だろうか?

生命を殺して食べてしまう

それはいけないことだろうか?

 

食物連鎖について詳しくはないが

肉食動物が草食動物を食べる

草食動物は草木を食べる

草木は土の中の養分を吸いっとって食べる

そう言ったサイクルは存在する

 

動物を食べるのは犯罪で

草木を食べるのは犯罪ではないと言った道理が

果たして通るだろうか?

 

すべて生きていくための手段に過ぎない

そう言った考えにたどり着いたなら

次の話に目を向けて欲しい

 

我々地球人は物理次元で暮らしているので

肉体を維持するには

物理的な食べ物が必要になる

 

だとしたら

非物理次元で暮らす宇宙存在は

何を食べればいいのだろうか?

 

少なくとも想像がつくのは

「非物理的な何か」だ

 

地球人の食生活は千差万別で

肉食中心の人もいれば

菜食中心の人もいる

中にはサプリメント中心のという人もいることだろう

 

同じように

宇宙存在にとっての食生活も多種多様だと想像してみよう

 

いよいよ答えだ

地球人にとっての肉食生活は

肥満や各種病気の原因になるとして

近年ではあまり良い食事とは言えなくなってきているが

宇宙存在における肉食に相当するのが

「恐怖」だ

 

地球人にとって感情は目に見えないので

それを「食べる」と言うのは想像するのさえ難しい

 

オレもそうだったが

女性に縁がなかった時には

アイドルを好きになり応援していた

コンサートなんかで

◎視線が合う

◎オレが「がんばってー!」とかけた声に「ありがとー!」と返してくれる

そんなことがあるとしばらく嬉しくて

元気いっぱいになることがある

その時オレは

何か物理的なモノを口にしたわけではない

でも気持ちが満たされ

お腹も満たされた感じになっていた

 

地球人でもそう言ったことがあるなら

非物理次元で暮らす宇宙存在には

日常的に「感情を食べる」ことで

満足感を得られるのではないかと

オレ個人は想像している

 

感情の中でも

「恐れ(心配事)」は

こってりと脂の乗った肉料理のような

食べ応えがあるのかもしれない

「もっと成長したい!」

「もっと成長したい!」

その思いがあるからこそ

地球人には苦しみもがくことがある

 

何かに失敗したり

うまくいかないから

苦しいのではない

 

「もっと成長したい!」のだが

成長を実感できないから

苦しいのだ

 

苦しみの奥には

「もっと成長したい!」と言う

とんでもなく前向きな渇望があるのだ

 

「どうせ無理」

「私なんかにはできっこないよ」

そう吐いた言葉の裏側には

「私だってもっと成長したいのよ!」

と言う渇望の声が

 今も胸の奥に鳴り響いている

 

その渇望の声に対し

自分自身が応じ

「よし!

(成長を目指して)もう一歩踏み出してみるか」

と気持ちを成長に向けることができれば

それだけで人生は好転する

 

イメージしてみて欲しい

目の前には超長い階段がある

百段昇るごとに踊り場がるので

そこでは小休止することも可能だ

 

あなたは今五十段目まで進んだ

ところが

同時にスタートを切ったメンバーの中には

早々と百段昇り切り

息抜きをしている者がいるのを知る

 

その様子を見た途端

「ああ…私には無理…」

そう思って脚を進めるのをやめてしまう

 

「何て私ってダメなやつなんだろう…」

そんな気持ちがますます自分と言う存在が嫌になってしまう

 

イメージしてもらうのは一旦ここまでだ

 

ところで

「無理」と考えたのはなぜだろう?

 

 その最も大きな理由は

「(他人との)比較」だ

 

階段を昇るスピードには

個々の違いが影響してくるので

当然早めに昇れる人もいれば

遅めになる人も出てくる

 

 それは

運動で一番になれたからといって

勉強で一番になれるとは限らないのと同じだ

 

そして

「人生」と言う名の階段を昇ることは

競技ではないので

各自のペースで進めばいいだけだ

 

 しかし

地球において「比較癖」は

風邪のウイルスのように大流行したままだ

 

現代社会においては

教育とマスコミの影響でそうなってしまっている

いわゆる「オトナ」もその洗礼を受けているのだから

「比較癖」を改善しましょう

何てことを提案する輩はほとんどいないことになる

 

そもそも「何も問題ないじゃん」

と言う意識を持てないわけだから

コントロールされたまま生涯を送る人が増えてしまう

 

答えを見出せないまま過ごした人の行き着く先は…

◎自殺をする

◎落ち込んだ気持ちを抱えたまま生涯を送る

◎落ち込んだ気持ちは胸の奥に隠しておいて楽しいことに打ち込む

そんなところだろうか

 

仮に「比較癖」はおかしい

そんな生き方を選択しなくてもいいんだ

とオレのように主張すると

「何を言ってるんだ」とバカにされる風潮もあるので

解決方法に気づいても

それを公にはしない人もひっそりといるのだろう

 

「比較癖」を持つようにコントロールをしたのは

現代からすれば古代の神々だと言われている

だがその風潮を引き継いでしまたのは地球自身だ

 

子供を叱るときに

叩くことを教育方針にしていた親を持っていると

自分が親になった時

無意識に親と同じ手法で自分の子供を叩いて

しつけをしたつもりになってしまう

 

またそれは

口から出る言葉についても同じことが言える

 

◎「そんなことをしたらダメでしょ!」

◎「宿題をしなさい!」

◎「危ないでしょ!」

 

その内容はすべて否定系だ

 ひていをすることでしか

注意したり

しつけをした気になれない人が大多数なのだ

 

 「YESマンになる」と言うのは

ひとつの極論かもしれないが

注意喚起を行うにしても

相手の心情をとらえ

もう少し肯定的な言葉や気持ちで接することができれば

家庭の中が殺伐とした状況にはならないはずだ

 

子供にとって帰ることのできる場所

それは「家庭」であり

父母のそばに居られることだ

 

しかし

父母のもとに安心していられなくなってしまったら

そもそもそこには

安心して戻れる家庭がないことになる

 

何かを買い与えることが

子供の安心につながるわけではない

モノでは心の隙間までは埋められないのだ

 

四半世紀以上戦争がない状態で

日本は突き進んできたが

追いつけ追い越せの考え方は

個々の人々が「もっと自分を成長させたい!」と願う気持ちを踏みにじり

やれ効率だ

やれ成果だと

現時点での結果にしか興味がない体制を作り上げ

相変わらず

末端の人々の生活は向上しないままだ

 

それは

「こうしなければダメですよ」

と言うプレシャーの中での暮らしを強いられているせいだ

 

だとすれば

社会の潮流に任せたままだと

「もっと成長したい!」の気持ちが育まれるわけはない

 

「変わらなければ!」

その思いをしっかりと胸にとどめ

「比較」することをやめてみよう

 

地球人の生活ぶりは

常にサングラスをかけて生活をしているのに似ている

「さぁサングラスを外して世界を眺め直してみよう!」

似てはいても

何か違う世界を感じるはずだ

 

「既成概念」と言う名のサングラスを外すことで

本来の世界を知ることができれば

「もっと自由に、柔軟に考えてもよかったんだ」

「ああ私にはこんな才能があったんだ!」

と言う気づきが生まれてくるだろう

 

その気づき

ひとつひとつを重ねていく毎に

自分自身が変わっていることを後々知ることになるだろう

 

普段同じに見えている景色も

一年前、十年前と同じだっただろうか?

違いがあるということは

「変化を起こしている」と言うことであり

変化を起こせるということは

誰もがそのチカラを内包しているということの証だ

 

道端に転がっている石ころの配置が

昨日と今日で変わっていたとする

それは昨日の世界と今日の世界は別世界になったことを意味するのだ

 

まだあなたが生まれていない時代があった

しかしあなたが生まれたことによって

地球は変わってしまう

たった「生まれる」と言うそれだけのことで

 

誰もが宇宙の創造者であり

宇宙を塗り替える力を持っている

だからコントールされたサングラスを捨てて

自分の眼で世界を見て欲しい

育成システム

「先輩」「後輩」と言う言葉があるが

先輩には「後輩を育てる」という役割がある

 

会社でも新入社員が入れば

先輩社員の誰かが

新人育成係になるのと同じように

宇宙の中にも

そのような関係性が構築されているらしい

 

以前「次元」の話をしたが

物理次元はとかく制限が多い

壁をすり抜けて

その先に進むことできないようにだ

 

そして

物理次元から

非物理次元に移行する際に

そのような壁が存在する

 

その「壁」とは意識の壁だ

物事をどうとらえていくのか?

物理次元にいる時のままでは

非物理次元には決っして行けない

 

それは体を構成する

細胞の振動数が異なるからだと言う

 

何かが変わるには

意識の変容が不可欠だ

 

物理次元というのは

現代社会に例えるなら

義務教育みたいなもんだ

 

その先には

自由意志で進む道がいくつも用意されている

高校に進む

専門学校に進む

就職する

フリーターをしながら音楽の道を進む

など

 

しかしどんな道に進むにせよ

なんらかの意識を持って

選んだ道に向かって進むしかないのは

単純銘菓な事実だ

 

宇宙存在は

「いつまでも義務教育の世界にはいられないよ」

「義務教育の先に進むには

テストはないけど

自分を良く知り

自分の意思を向上させることが必要なんだ」

「そのための第一歩として

物事の見方を変えるところから始めなきゃね」

と言っているだけで

何か魔法をかけてくれるわけではなかったりする

 

それは

受験勉強に向けて

重要なポイントを教えてくれたり

何かを覚える上でのコツを伝授してくれる

先生のような存在だが

先生だって

あなたに代わって

受験を受けてくれるわけではない

 

つまり

自分でやるしかないわけだ

 

チャネル情報の発信元である

宇宙存在は

「先生」と言うよりは

「先輩」に近い存在だと

オレは感じている

 

先生は給料をもらい

「仕事」として教育に携わっているが

該当する宇宙存在は

無償で奉仕してくれる「先輩」と言った感じだ

 

親身な先輩に

「学校は違ってもいいから

お前も進学してこいよ」

「ノウハウならオレが教えてやるぜ」

と言われているような

そんなイメージだと言ってもいいだろう

 

彼ら宇宙存在は

物理次元に位置する存在の

アセンション(次元上昇)」と呼ばれる

物理次元から非物理次元への移行作業をサポートすることで

自らの成長を促進したいとも考えているようだ

 

詳しくはわからないが

「後輩」のお手伝いをして

それがうまくいったら

「先輩」がレベルアップできるシステムがあるようだ

 

「先輩」自身にもご褒美があるので

頑張って「後輩」を育てようとしている

そんな見方をしてもいいかもしれない

 

オレ自身は

チャネル情報に触れ始めてしばらくした時に

「こいつらいったい

自分にどんなメリットがあって

命がけで地球人のサポートなんかやってんだ?」

と疑いの眼差しで情報とにらめっこしていた時期があった

 

なぜなら

地球で何かを行動を起こす時には

なんらかの見返りを求めるものだからだ

 

地球人と比べれば

遥かに成長している彼らから見て

下等な宇宙存在である地球人に手を貸しても

何も得るものがないんじゃないか

そう考えていたオレは

先に述べた話を知るまでは

「何か裏があるな」と感じていた

 

確かに

「地球人と比べれば」彼らは高等だが

宇宙と言う広い世界の中では

まだまだ成長の余地を残した存在と見ている

 

「もっと成長したい!」

そう願う心の奥からの衝動は

地球人固有のものではなく

宇宙で暮らす全ての存在に共通した意識のようだ

 

地球は崩壊していたらしい

地球人はすでに地球を何十回も破壊できるほどの

爆弾を抱えている

そんな話をオレは

高校生の時にはすでに耳にしていた

 

だが

ある並行した別次元では

地球のあった場所は

ブラックホール化していたらしい

 

パラレルワールド」と言う言葉がある

地球科学的には

時間は一直線上にしか存在しないが

糸が絡み合うように

時間軸も多々あるのだと言う

 

オレは学者ではないので

科学的な説明はできないが

現在オレたちが過ごしている

この時間軸の上を先に進んだり

後ろ側に戻ってみたりと言うことも

できるそうだ

 

ある宇宙存在たちが

地球がある場所を訪れた時

そこはブラックホール化していたので

数百年遡り

現代を選択したのだと言う

 

以前少し触れたが

偉人や聖人が登場した時代

地球人は彼らを崇めてばかりで

話の本質を理解し

自分でその内容を試そうとはしなかった

 

彼らが求めたものは

地球人一人一人が

自らのチカラを発芽させることであって

「お恵みください」と

崇め奉られることではなかった

 

宇宙存在がそのような時代を

もう一度選択しても

結果は知れていた

 

だから

ある程度科学が発達しており

中には宇宙存在の発言を信じない者がいるような

しかし耳を傾けてくれる人もある程度いる

そんな時代を選んだのだと言う

 

「ほぉー」

とオレは思った

 

それと同時に

「なんでそこまでして人助けすんの?」

とも思った